野中郁次郎先生のご逝去の報に、日本ナレッジ・マネジメント学会に集う仲間は大きな衝撃を受けました。
日本ナレッジ・マネジメント学会は野中先生の組織による知識創造に関する研究と実践の上に築かれました。その意味で野中先生は学会の精神的、理論的支柱であり、野中先生なしには学会そのものも存在しなかったと認識しております。学会員の中には、野中先生にさまざまな形で指導を受けた者も多く、野中先生なしには今の自分はないとの思いは、違いはあれ、学会員に共通です。
それだけに、野中先生の突然のご逝去に、学会員全てが深い悲しみにくれております。
しかし、いつまでも悲しんでいることは、野中先生のご遺志に反します。野中理論は、人間の生き方を問うことに本質があったと考えます。学会活動に関わる我々一人ひとりに問われるのは、われわれがどう生きたいのかということです。改めてこの根源的な問いを学会員一人ひとりが深く考え、研究と実践を通じその問いへの正しい解を追求していくことこそ、先生からいただいたご薫陶への何よりの恩返しと考えます。人間身体に宿された暗黙知を解き放て、という野中先生のメッセージを常に心の中で響かせながら。
日本ナレッジ・マネジメント学会会長 理事
IMD(スイス、ローザンヌ) 教授
一條和生
野中先生のこと(追悼の辞にかえて)
野中郁次郎先生ご逝去の報に接し、心より哀悼の意を表します。 野中先生は「ドラッカーが亡くなった95歳までは頑張るぞ」とよく仰っておられましたし、まだまだ新刊の計画もあると聞いておりましたので、野中先生ご自身もお志半ばのところがおありだったと思います。野中先生のご冥福をお祈り申し上げます。
学界のみならず実業界や政界から、また日本のみならず世界中から、野中先生のご逝去を悼み、思い出を語る記事や投稿があふれています。野中先生は1980年代から情報や知識の創造についての研究を進めて来られましたが、野中先生と竹内弘高先生の共著『Knowledge Creating Company』が「ナレッジ・マネジメント」の火付け役となり、15か国語以上に翻訳されて世界中に広まり、今では古典的教科書となっています。1998年の日本ナレッジ・マネジメント学会の創立も、この「ナレッジ・マネジメント」への関心の高まりを一つの契機としています。
一方、野中先生は、よくご自身のベストセラーは『失敗の本質』だと仰っていました。『失敗の本質』は日本の組織が不祥事を起こすたびに、書店に平積みされ、Amazonのベストセラーに返り咲くという傾向があります。最近では、ちょうど1月半ばごろの日経新聞で100万部超えという広告が出ていました。 広告や本の帯のコメントがしばしば変わるのですが、そこから政治家など多くの方がこの本を読み影響を受けていることが分かります。 野中先生がご指摘された「過去の成功体験への過剰適応」は、いまも日本企業の失敗の本質です。
野中先生のファンはとても多いのですが、その理由は、野中先生の幅広いご活躍にあります。たとえば、リクルートワークス研究所発行の「成功の本質」シリーズでは、100社を超える企業に野中先生自らインタビューされました。さらに、企業の社外取締役や講師、JICAと共同でアジアの次世代リーダーや次世代アカデミックとの研修など、野中先生から直接学ぶ機会を数多く作ってくださいました。また、組織学会や一橋大学をはじめとする複数の 学会や大学でも要職を歴任されています。野中先生は(本当は少しシャイなのだと思いますが)、だれにもとても気さくに対応してくださいました。
国際的にも野中先生は高い評価を受けています。例えば、2008年5月にはウォール・ストリート・ジャーナル紙の「世界で最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」に選ばれ、2013年には「Thinkers 50」を受賞しました。野中先生の同僚も著名な学者で、世界中に広がっています。野中教授は「バークレーの三羽がらす」と仰っていましたが、カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院の同窓生でダイナミック・ケイパビリティを提唱したDavid Teece、オープン・イノベーションを提唱したHenry Chesbroughとよく一緒に研究について議論していました。知識創造学派以外でも、「学習する組織」のピーター・センゲや「U理論」のC・オットー・シャーマーなど、この理論や「暗黙知」の概念に影響を受けた学者は多数います。
知識創造理論は「野中理論」や「野中教」と言われることもありました。理由は一般の経済学や経営学にはない哲学的な思想にあります。 野中先生の思想は、哲学(特に現象学)を基盤とする教養に根付いていて、それが知識創造理論を「人生哲学」や「経営哲学」的な理論にしています。その証左に、野中先生のご講演の締めは、いつも「経営とは生き方の実践(Way of Life)」でした。
野中先生は「企業・組織はなぜ異なるのか」という問いに「思い描く未来が違うから」と回答されます。知識をプラトンの「正当化された真なる信念」から発展させて「個人の信念や思いを真善美に向かって社会的に正当化するダイナミックなプロセス」と定義されました。ポランニーの「暗黙的知り方」から発展させて「暗黙知」として経営に導入してその重要性を説かれ、組織的な知識創造の原理を示す「SECIモデル」を世に出されました。西田幾多郎の哲学を基盤に「場」の概念を明らかにし、多様な場のつながりである「知の生態系」から共通善を導かれました。アリストテレスの「フロネシス(実践知)」の概念を用いて知識創造のプロセスを駆動し推進する「実践知のリーダーシップ」の6つの能力を提示されました。このように、さまざまな理論やコンセプトを提唱される中で、知識創造によるイノベーションの促進のしくみやプロセスを明らかにされてきました。他にも、「スクラム」「二項動態(あれもこれも)」「物語り戦略」「ミドル・アップ・ダウン」「守破離の型」「知的体育会系」「Humanizing Strategy」などなど、今の世界に必要なコンセプトを次々と生み出され、提唱され、実践を推進されてきました。AI時代の今だからこそ、人間存在を中心に据える知識創造は大きな価値を持ち、その意味は大きいと考えます。
私は2003年から野中郁次郎先生の下で学び、知識創造理論に基づく研究により修士と博士を修得いたしました。私が2016年に立教大学経営学部に移ったあとも共同研究者として活動をご一緒させていただきました。私は野中先生の終わりの方の弟子を自認しています。野中先生はワインが大好きで、巨人ファンで、いつも好奇心を持ち続けていて、何か提案すると「よしやろう!元気が出てきたぞ!」と言ってくださいました。 野中先生と過ごさせて頂いた時間は自分の家族の誰よりも多く、野中先生が亡くなられたことがまだ実感とならず、茫然自失の状態にあります。ですが、私は「野中先生『推し』」であり、知識創造理論のエバンジェリストでありますので、これからも野中先生が掲げられた「知識創造理論」を世に広め、さらに発展させて、少しでも野中先生へご恩返しができればと思っています。
野中先生はきっとすでにあちらの世界で、研究活動を始めていると思います。チャーチルやアイゼンハワーにインタビューをしているのでは?と夢想しています。現世界にいる私たちは知識創造を継続発展できるように日々精進してまいります。
野中先生のご冥福と知識創造理論のさらなる発展を祈って。
日本ナレッジ・マネジメント学会理事
立教大学経営学部 学部長 准教授
西原(廣瀬) 文乃